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専念寺の歴史
専念寺は、寛永元年=1624年に創設されました。
寛永は、江戸時代の初期、三代将軍・徳川家光の治世であり、幕府の政策により江戸に多くの町寺が設けられた時代でした。
京都文化を庇護する幕府のもとで「寛永のみやび」が花開き(茶人・小堀遠州、京焼・野々村仁清、絵師・狩野探幽)、通貨「寛永通宝」が発行される一方、「島原の乱(島原・天草一揆)」(1637‐38年)、「寛永の大飢饉」(1640‐43年)が起きた時代として記憶されます。
現在の専念寺は、早稲田鶴巻町にあった建勝寺と旧・専念寺が合併してできた寺です。アジア太平洋戦争中の空襲で鶴巻町も原町も焼け野原となりましたが、本尊と過去帳だけは避難させており(ドラム缶に入れて密封、地中に埋めていたと伝えられます)無事でした。
建勝寺の住職だったのが守中禅冏(ぜんげい)、その長男に生まれた先代・守中裕幸が、旧・専念寺住職の勧めと依頼を受けて二つの寺を統合、その後、2度の本堂の新築を経て、1995年に守中高明が第二十一世住職を拝命し、現在にいたります。(※住職の略歴・著作等はこちら)
寺の名前――その由来
専念寺の正式名称は「一心山 行住院 専念寺」です。
この名は、浄土宗「開宗の文」と呼ばれる一文、すなわち「一心専念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念々不捨者 是名正定業 順彼仏願故」(「一心に専ら弥陀の名号をとなえて、行住坐臥に時節の久近を問わず、念々に捨てざるもの、これを正定の業と名づく、彼の仏の願に順ずるがゆえに」)という文言に由来します。
これは、法然上人が善導大師の『観経疏』のうちに見出し、その衝撃をもとに浄土宗を新たに開いた一文です。
その「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」の教えをさらに凝縮した名が「専念」寺です。専念寺の名が表しているのは、ただ阿弥陀仏の名を称えることしか求めない、無条件の救いと赦しなのです。