Introduction
専念寺の紹介
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浄土の教えを、
現代に活かす寺
だれもが救われる
専念寺は、仏教の説く〈浄土〉を21世紀の今、いかに実現するかを考え、そのための開かれた場所であることを目指しています。
法然上人の「他力」の教え――それは、長い仏教の歴史の中で、私たちのすべてに無条件の救いを約束したはじめての教えです。
平安時代から現代へ
平安時代から鎌倉時代にかけて、社会には階級があり、さまざまな差別がありました。救いは、激しい修行に耐え、厳しい戒律を守ることのできる人、でなければその代わりに、富を寺に寄進できる人のみに限られていました。
身分制と能力主義が支配する社会に対して、法然上人は、私たちの誰もが「凡夫」であり、阿弥陀仏はすべての人をあるがままの姿で救いとってくださると宣言しました。
念仏
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」――「往生」と呼ばれる究極の救いが、このひと声だけで万人に訪れる。平安時代に革新的だった法然上人のこの考えかたは、現代の私たちにとってこそ大きな意味をもっています。
職業、経済力、ジェンダー、国籍、民族、人種がどのようであれ、人はみな、その命のかけがえのなさにおいて平等です。
「南無」とは「帰依」を、「阿弥陀仏」とは「無限の命/無限の光」を意味します。したがって「南無阿弥陀仏」と称えることは、「無限の命/光へ帰依」する行ないです。ひと声ごとに心とからだを無限へと開きながら、かけがえのない命を尊重し合う絆をつくること――念仏の本質はここにあります。
最もやさしい行ないである念仏に教えを凝縮することで、最も大きな包摂する社会を作りだすこと――それが法然上人の考える仏教でした。
この社会を〈浄土〉に変える
生きづらい、希望をもてない、不安――そんな気分が社会をおおうようになってすでに久しい今、専念寺は、すべての人が安心できる場所でありたいと考えています。
この社会を、たとえわずかずつでも〈浄土〉へ近づけること。そのための歩みを続けたい――専念寺はそう祈念しています。